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2022.03.20

山本挙志の作品について

「そこに灰がある、ここでは
なくてそこに、まるで語られ
るべき物語のようにある」 ジャック・デリダ

ニューペインティングの影響のもと始まった山本挙志のキャリアは間もなく作家自身の異和感によって停滞することになった。
描きたいという視覚的な志向性と、「これではない」という手の指向性(≒嗜好性)による漠たる葛藤がその原因のひとつだった。自身のスタイルに異和を感じ続けていた作家は、その後10年以上アルバイトで生計を保ちながら、目と手の他者性の揺らぎに戸惑いつつ、創作活動を続けていた。その間には、「出来ない」という感覚と、美術家のエゴに対する嫌悪感も相俟って「絵画」を断念することも考えたという。

4~5年後のある時、ではなく、4~5年の経過の中でしずかに、記憶、手の、というよりも描くという行為に刻まれた記憶が視覚を通して作家に気づかせたのは、作家自身の子どもの頃の「らくがき」の「線」「形象」が持つ物質性こそが描く/掻くべきこと、描き/掻きえることなのだということだった。
 しずかで、ぼんやりとした記憶の描線をなぞりながら、作家は現在に続くスタイル、自身の絵画のサイズを手にしていくことになる。

 それでは作家の異和はどこから来たのか?それは、描かれる「生き生きとした線」、絵画という事後性に現れた現在性という虚構だったのかもしれない。または、その固有性として語られる描線に対して「気持ち悪さ」を感じていたのかもしれない。
 描くこと/描かれたものの事後性、とその必然としての匿名性こそが絵画の抗いがたい現実であり、常に社会的なコンテクストと切り結びながらその死のなかにあるものこそが「今ここで」描かれる「絵画」であるということだろうか?
作家は「死んだ線」を描きたいという。試行錯誤のなかで見出したのが、銅版画の線だったという。銅板、数種の尖筆、やすり、インク、紙... 複数のメディウムを経て現れる描線は偶然にゆだねられた「誰のものでもない」線のようでもある。

今なお、続けられるこの問い=創作に注目していきたい。