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2022.03.20

林樹里の作品について

自然の生み出す模様には人為を超えた美しさがある。“かげ”の探求は2015年に始まる。実体から影が伸びる様子を描いたことに始まり、地面に散った木の葉や花びらがその影と混在する様子を描き、遂には地面に落ちる影のみを表すに至った。そして、その影も次第に具体的な形をもたずに描くようになってきた。それは一層簡潔に“かげ”について表したいからだ。強靭な麻紙に岩絵具や胡粉で凹凸ある地面を描いたものと、透けるほど薄い美濃紙に影だけを描いたものを用意し、伝統的な表具技術を用いて二枚を重ね合わせる。まさに、地面に影を落とすことを行う。重ねた和紙が織り成すマチエールが幻想的な奥行きを生み出してくれる。・・・・・・「林樹里個展2020」の冊子部分より

林の“かげ”シリーズの魅力はまず、その画面の美しさ、明確に何色とも言い難いような微妙な色調の移り変わりと、凹凸のあるマチエール、そういった表層の画面の美しさにあるだろう。作家も述べているように、日本の伝統的な技法や芸術家の精神性を学んだことに裏付けられるこうした画面は、見ている人の目を愉しませる。しかし、“かげ”の魅力はそれだけではない。一方で“かげ”の絵は、画面そのものを通して、鑑賞者を内向きの、鑑賞者自身の心へとも向かわせるのだ。私は、“かげ”シリーズを通して、言葉にしがたい、ある共通の印象を抱いた。具象的な影から出発し、抽象化へと向かってきた“かげ”の絵。しかし、決定的なまでの抽象はあえて行っていない。曖昧にけれども確実に見る人間にこの絵に何があるのかを分からせている。この画面から抱いた印象に言葉を当てるならば、それは、懐かしさの気配ではないか。 私たちは、この影を、この一風景を知っている。誰もが通り過ぎたことのある道、記憶の片隅にある道。地面と地面に落ちる木の葉の影を描くことによって、地面の硬さ、日差しの強さ、匂い、その画面の外にあるものを伝えてくる。この絵を見てこみ上げてくる無性な懐かしさは、その画面の中に描かれているもの、画面の外に広がっている空間、そのどちらにも見覚えがあるからだ。

“かげ”シリーズを反芻していると、ふと宮崎駿監督の「となりのトトロ」が思い浮かんだ。具体的には、メイが、どんぐりを夢中になって拾ったり、サツキに作ってもらったお弁当を飛び跳ねて喜んだりするシーンである。子どものなんてことない仕草がそこにはあるが、その眼差しを自分に向けると途端にたじろいでしまう。自分は、どんぐりを見てもいつから手を伸ばさなくなったのか。いつからお弁当が特別な宝物のように思えなくなったのか。どんぐりやお弁当を手にした時のわくわくとした気持ちをいつから忘れたのか。
林の絵も、同じことを気づかせてくれる。私たちは、いつからそのなんてことない道を見ようとさえしていなかったのか。私たちがいつからか素通りしていた風景を、しかも風景を対象として端的に描くのではなく、影という一段階曖昧にした存在に託して描くことによって、“かげ”の絵は、見た人それぞれの心にある風景に重なり合って、個々人の心の片隅にある記憶に呼びかける。多くの人がせわしない日常生活を送っていく中でこぼれてしまう記憶や思い出を、“かげ”を見ることでふと思い出させてくれる。“かげ”シリーズにおける林の作品の魅力は、ここにあるのではないだろうか。